前回「外から日本を眺めていて歯痒い思いをする瞬間」と書きましたが、同じ事は海外在住の日本人にも言えます。
日本から流れて来る、もしくは英語圏のニュースを編集し、さらには日本語に乗せ換えた情報のみを鵜呑みにし、妙に「愛国的」時には「好戦的」な方も少なからずいらっしゃるのには驚きます。しかもそれは若い世代よりも、むしろご年配の方に多く見られる傾向です。
つい先日までは、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所を訪ねた経験を元に、神妙な顔つきで「何とも言えない暗い気持ちになった… 二度と、二度とあんな残虐な事はあってはならない…」「(見学していて)涙があふれて来た…」と仰ってたかと思うと、次に会う時には「ニッポンに戦争責任は無い!」「中◯、韓◯、朝◯、あいつら皆殺しだ!」「俺は元々ウヨクなんだョ!(エッヘン!)」と仰る…
「国を守る為には命を投げ出すべきだ!」と仰るこの方に「では、今あなたが大好きなこの国(在住国)が将来日本と戦争になったとしたら、ここの国民と戦うのですか?今、あなたの友人である〇〇〇〇〇〇人を殺す準備があるのですか?」と私が尋ねると、「ああ、殺るよ!もちろんだ!」と口角泡を飛ばす勢いで仰ります。
このようなコミュニケーションはもちろんある程度近しい関係であるから可能なのであって、そしてもちろん「酒の上の席」であるからという前提ではあります。しかし私もだんだんと激昂してきて口調も変化してきます。
酒の入った場という事もアリ、ご年配の方への大変な失礼を承知で、
「そんな… あなた… 自分の姿を鏡で見てみ!」「皆殺し?笑わせるな!」「そんな(モヤシのような)身体で(現地人に)勝てる訳ないでしょう?」「じゃあ、今から100メートルでいい、ダッシュして戻って来い!」「そして息も切らさず全く同じ事を俺の目の前で言ってみな!ハナシはそれからだ!」とまで言ったことさえあります。
こういう思考回路の方は、ご自分の人生において本当に苦しい思い、限界まで自分自身と闘った記憶、目の前に迫った暴力の恐怖、そういった経験が無いのだろうな、と私は考えます。
子供の頃から毎日20 km走らされるのが当たり前であったり、雨の日のクラブ室内練習では、上級生を背負ったり、両足を掴まれて両腕だけで、校内の一階と二階の間を無制限で周回するという競争を、それこそ足腰が立たなくなるまで、両腕がひしゃげるまで、もしくは泣くまで続ける、といった「極限まで自分と闘った」経験が無いのでしょう。
リングでコーナーに追いつめられて、下を向いた瞬間にアッパーカットが飛び込んでくる恐怖を知らないのです。相手のパンチで自分の鼻の骨がヒシャげる音など聞いた事もないでしょうし、直後に自分の頭の中に広がるあのイヤ〜な匂いを知らないのです。もちろん自分の拳が相手の顎に的中し、相手がぐしゃりと崩れ落ちる瞬間の「勝者の恐怖」も知らないでしょう。
昨日チラリと触れた、「情操教育」の意味もそこにあります。
「極限の恐怖体験」同様、映画や文学で、今まで身体が震える程の、数週間や数ヶ月は頭に焼き付いて離れないくらいの感動を憶えた事は無いのでしょう。今まで人生や行き方を変える程の本や映画に出会った事などないのでしょう。
転じて、今のニッポンを一体どうしようと目論んでいるのか、こやつらの「顔」を見てやってください。
TPPに先鞭をつける郵政民営化を進めたトッチャン坊やのハシリ、タケナカヘイゾー君。自分は市民税を回避しながら、こやつの金融(緩和どころか)鎖国政策はその後も速度を増して、金◯庁もやりたい放題。手がつけられない状態になってきてますな。Forexトレーダーなら、此奴の罪深さをよくご存知でしょう。
次にもトッチャン坊やの代表格、ハシモトトール君。まあ、この方、言う事成す事、嘘と欺瞞に満ち満ちております。何処の政党と組むかによって恥も外聞も無く政策を転換するなどお茶の子サイサイです。批判を受けても反省という態度からは程遠く、逆に開き直る事で相手が二の手を継ぐのを失う、という手法は、下のシンタロー君からのご鞭撻によって学んだのでしょう。
続くは、「もういやだ。ヤメル!」と一度は首長の座から逃げ出したお坊ちゃま君代表、アベシンゾー君。一体誰がこんなフニャけた顔でつく大嘘に騙されて2度もニッポンの首長に選んだのか… 広島、長崎での演説は相変わらず通り一遍のものでしたね。
これまた表のニュースには殆ど出てきませんが、現地広島・長崎の市民や、沖縄のメディアからは、この演説に「憲法を変えてまで軍国回帰しようとしている」「今もダダ漏れの原発問題に触れないとは…」「また嘘だろう」との声が圧倒的でしたね。
そして、右のこの顔!みてやってください。イシバシゲル君の最近の発言はもう皆さんご存知でしょう。え?知らない?知らないとしたら、それはもう貴方ヤバいですよ。完全にヴァーチャル軍事オタクの世界に生きている顔です。
そして、真打ち登場!イシハラシンタロー爺。
本当に随分と前からイッちゃってます。加えて、上記全てのトッチャン坊や病、坊ちゃん育ちと、勘違い病共を「育て上げた」一級戦犯とも言えますね。
「前頭葉の退化した六十、七十の老人に政治を任せる時代は終わったんじゃないですか」と、政治家は遅くとも70歳前に引退すべきとするご自分の主張に従って頂きたいものですが… 齢八十を過ぎて、前頭葉のみならずアチラコチラ退化しすぎて、ご自分の仰った事忘れられたのでしょうか?
[youtube http://www.youtube.com/watch?v=QcQuZtqyrfk?feature=player_embedded]
相変わらず目をしばたかせながら、麻雀と核兵器保有を比喩されるとは… 日本の為にも早く鬼籍にお入りになって欲しいのは山々ですが、そしたらこの方が国民から吸い上げ浪費した合計数千億のお金(新東京銀行の累積赤字補填、2度のオリンピック招致失敗、尖閣国有化寄付金詐欺、その他多数)はどうなってしまうのでしょう… ちゅうか、もう協力者のヘイゾー君始め、自分の息子共と山分け済みなんでしょうな。呆れるばかりです。
此奴ら全員に私は言いたい。
「今から100メートルダッシュして戻って来い!もしくは1kmでも10kmでも走ってみろ!」「そして息も切らさず国民の目の前で同じ事を言ってみろ!ハナシはそれからだ!」そして「そんなに”戦闘”やりたきゃ自分でヤレ!」
「息切れどころか身体の力が抜けて銃器さえ持てないだろうよ!」「紙幣は持てても戦場じゃ役にたたねェよ!」
私は何も日本人皆が皆、「極限の恐怖」を経験したり「豊かな情操教育」を受けるべき、と言っているわけではありません。上のような「面構え」の連中に、よりによって原爆を投下した張本人(国)の思惑通りに日本国の舵取りをさせようとしている、今の状況への「恐怖感」に打震えているのです。せめて日本の方向性を決めるような人間には少なからず「本当の暴力を目の前にした恐怖」や「打震えるような感動」の経験が必要だと考えているのです – 実際、上の方々のような年齢になってからそんな「教育」を施しても遅すぎるのですが…
あなたは、上のような「面構え」の連中に、自分や自分の子孫の命を預ける心構えはありますか?
我が国日本が、完全に道を踏み外しつつある現状を心から懸念しています。
以上が、『原爆の日』にちなんで私のできるせめてもの意思表示です。
そして本日八月九日の長崎平和記念式典。
さすが、現長崎市長・田上富久氏には、前任の故・伊藤一長氏の遺志を引き継ぐ「気骨」がありましたね。
「今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80か国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。」
「世界には今も1万7千発以上の核弾頭が存在し、その90%以上がアメリカとロシアのものです。オバマ大統領、プーチン大統領、もっと早く、もっと大胆に核弾頭の削減に取り組んでください。「核兵器のない世界」を遠い夢とするのではなく、人間が早急に解決すべき課題として、核兵器の廃絶に取り組み、世界との約束を果たすべきです。」
ちなみに、広島と長崎それぞれの原爆記念館(博物館)の展示品、それに関する説明文ひとつを取っても、米国に対する態度に違いが見られるのは興味深い点です。つまり例年の広島と長崎、両市長の演説の距離感と同じだということです。
原子爆弾により亡くなられた方々、そして全ての”核”の犠牲者に心から哀悼の意を捧げます。

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